(日本時間の)今日がそうでした!すみません!忘れてました!
沖縄にいた頃はいつも何かしら回りの人々から「そろそろ慰霊の日だね・・」と聞かされてたので、この日をただ通り過ぎる事なんてありえ無かったのに、渡米後、日にちを気にする事なく過ごしてました。毎年、母の誕生日が6/26なのでいつもその辺りに集中してましたって言い訳ですね、はい、お叱り受け付けます。
この時期になると沖縄の小・中・高等学校では、戦争に関する映画や資料館、沖縄戦の足跡ツアー等も行ったりする。当時の私と同じ年代の子達が犠牲になった実際の話である対馬丸やひめゆり部隊には、そのあまりの惨さにしばらくトラウマになる程の衝撃を受けた。何とか目を背けるという形で忘れる事が出来るんだけど、翌年の6/23になると悪夢を思い出す・・といった感じ。
そんな私も大人になりまして、色々あって、今に至るのだけど、やはり少しだけ罪悪感を覚えずにはいられない・・
というのも、夫はアメリカ人で前夫に関してはアメリカ軍人でもありました。
うちなーんちゅがアメリカー(しかも軍人)と結婚するなんて、すぐに捨てられると言われ続けてきたのに連れてきたのはそのアメリカー。母親は早い段階で諦めてしまい、父親はカンカン。ついには、
「だーどんなのか見たいから連れて来い!」
となり、覚悟決めて家に招待した。しかも、一番怒るであろう家主がニコニコ笑顔。それは、
私の(故)おじぃー
昔、戦火をくぐって生きてきたおじぃー(母に言うには戦うのを放棄して逃げたらしい。爆)に残されたのは妹二人。必死になって働き、金に換わる物は少しの鉄や銅でも何でも拾い金を作った。その当時、一番助けて貰ったのがやはりアメリカーであったのだ。軍で職にありつけたおじぃーは、そこに配給されるものなら何でも貰って帰ったと言う。米兵もそれを知ってて何も言わずに、「これも持って行きなさい」と卵を渡されたりしたらしい。
そんなおじぃーは全く英語も話さず、ひるむ事なく、相手が理解する事がなくとも話す。私が間に入っても前夫が聞く・聞かないも関係無しに話し続ける。
とにかくそんな調子でいつも基地内で催されるフリマに行ってるんだ・・と思った。一度なんか車を持ってないおじぃーが中古の掃除機と共にアメリカーの車で帰って来た。どうやら徒歩とバスで掃除機を持って帰ると知ったアメリカ人が不憫に思い、送ってあげたらしい。その時も同じような調子だったんだろうなと思った。意思の相通は決して言葉のみではないのだ。
今日はそんな慰霊の日から始まり、それから思いを寄せたお話を最後まで聞いてくれてありがとう。
この世から戦争が無くなり、その代わりにオリンピックやワールドカップで思う存分、争って下さい。例えそれがアンフェアでも許す事にするからさ。
心より平和を切に願います。黙祷。
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2 コメント:
おじーちゃんのお話覚えているよ~。掃除機買ったのはいいけど、プラグがあわなくてコンセントに差し込めないから切ったとかなんとかって言ってたよね~。世界が平和になるには後何十年かかるのかね?もしかしたら無くならないかも?!って思うときもあるけど、それでも希望は捨てないでおこうね~。
>ユウコさん
そうでーす!某SNSで確か一度話したと思う。よく覚えてるね!差し込めないから切った話までしたの私も忘れてたし(爆)やっぱ記憶いい人って頭いいのよね~(ヨイショ)
人間は愚かな生き物だ!なんて誰かが言ってたけど本当にそうだよ。進化と共に争い事も増えたと思う。自分達で首を絞めなきゃいいけど・・・。
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